私は器の小さな人間です。
きっとすごく臆病で怖がり。
いつも自分を守ることに
必死になっています。
私が嘘偽りなくそう思っている、
心の中の許せない自分。
そんな自分と、私も闘っています。
「言葉を正しく伝えることで
相手が理解を示す。
一方的な感情や想いの
投げ合いは何も生まない。
真実はあなたの中にある。」
福厳寺住職から頂いた
教えの一つです、
私はこの話を聞いた時、
なんて器の小さな人間なのだろうか
と、トコトン落ち込みました。
例えば相手の意見が異なった時、
自分の主張を曲げずに伝えます。
すると、相手のまっすぐな
主張が素直に返ってくる。
すると今度は維持やプライドが
連鎖反応を起こしてさらに
強い想いをぶつけようとする。
ある日、
私の隣で仕事をする広瀬と
仕事の方向性についての議論が
喰い違いました。
目指すべきしくみを作るべく、
お互いが自由に意見を交換します。
しかし、意見がヒートアップすると、
お互いがお互いを受け入れようともせず、
ただ感情的になって激しい討論に
なってしまいました。
目指すべきゴールや目的は同じ二人。
しかしそこまで達するまでの方法が
異なったことで始まった討論。
「これはマズイ!!」
二人が同時に心のブレーキを踏み、
時間をおいて次の日に話し合う事に。
しっかり話し合った結果、
同じゴールに向かって車か飛行機か、
それとも自転車を使うか、
「方法論」の違いだけだったことを
深く理解し合い、硬い握手を交わしました。
人は一人では生きていけません。
「集団欲」を欲する生き物です。
誰もが自分の存在を認めてもらい、
知ってもらい、受け入れてもらいたい。
だから言葉で自分の想いを一生懸命
伝えようと努力をする。
しかし受け入れる側も心の準備が
できていない時は余裕がない。
そこで認識の誤差が生まれて
感情のロスが発生する。
すると今度はお互いがお互いを
知ってもらいたいから言葉を使い、
相手を操ろうとする。
何度も同じことを繰り返すうちに、
感情が波立ち、怒りのエネルギーと
なって放出されていく。
残ったものは傷ついた心と、
疲れたカラダ。
自分が発言した言葉にも
後悔を残してしまう…。
本当に情けないなと思うのです。
「ガタガタ」という言葉があります。
そう、サッシが風で揺れると
ガタガタ音がします。
あの「ガタガタ」です。
自我を仏教の教えでは
「我」といいます。
相手の我を「他我」といいます。
つまり、頭文字の繰り返しで
「我」「他」「我」「他」。
自分と相手の我の投げ合いで
交差しない事を表しています。
私たちの会話に「我」「他」は
潜んでいませんか。
言葉を正しく使って伝える事は
とても大切です。
しかし、
あなたの発言した言葉は
「我」になっていませんか。
「他」受け入れる器はありますか。
ガタガタは何も生み出しません。
1流の「プロ」と呼ばれる人は、
柔軟にカタチを自在に変えられ、
常に「最高」を提供できる人のことを言います。
もう一度、「プロ」としての
自覚で心の器を広げる大切さを
学んだ出来事をシェアしたいと
思って書きました。
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。
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