2010年11月25日木曜日

覚悟をもって生きるということ

忘れていた事を思い出しました。

今をシンプルに生きていく、
ということの奥深さを。

その言葉を聞いた瞬間、
「僕は何をしているんだろう。」

と、正直凹みました。
自分が情けないなって。

でも、

無力を嘆いている暇はない。
必死で生きていかなくてはいけない。

それこそ“シンプルな生き方”
かもしれないと、、、。


昨日、妻が私の共通の友人と
朝からヨガに出かけました。

きっと相当楽しかったのでしょう。

妻は目をギラギラさせて体験してきた
学びや車中での会話を私に伝えてくれます。

深夜1時くらいまでキャッキャと
話しまくっています(笑)

「ところで、Iさんは元気だった?」

私の問いに妻は答える。

「うん。とっても。裏表がなく
毎日を楽しんでいるIさんが
羨ましくなるのよね!!」

妻はより一層嬉しそうに話す。

でもIさんの魅力はそれだけ
ではない。

Iさんは妻にこう言葉を
残したそうです。

「私、いつ死んでも後悔しない
覚悟があるから、毎日が本当に
楽しくて仕方がないのよ!!」

私はそれを聞いて驚きました。

実はIさん。

少し前に最愛のお父様を
亡くされているのです。

きっと今日までに想像を絶する
苦労や悲しみと闘ってきた
ことでしょう。

そんな中でも笑顔で、

「いつ死んでも後悔しない覚悟」

と本心で伝えてくれるIさんに
妻も私もただ脱帽でした。

「私の父は余命何年と宣告されて
生きてきました。今を必死で生きる
父の背中をみて育ってきましたから、

もし私が今日死んでも後悔はしない
生き方をしようと決めているんです。

もちろん、今は大切な家族のために
そんなことは望みませんけどね(笑)」

Iさんはいつもの優しい笑顔で
強い覚悟を伝えてくれたそうです。


「いつ死んでも後悔のしない覚悟。」

自分に置き換えてみた時、
恥ずかしながら私はどこか大切な
生き方を見失っていたと思う。

人はいつから他人と比べる
ようになったのでしょう。

見栄を張って頑固になり、
生き方に制限をかけて満足し、

それでも足りないから人を妬み、
人のモノを奪い取ろうとする。

そしてまた比べて満ち足りない
エゴを欲する、、、。

そうして、どれくらいの感情を
無駄にして生きてきたのだろう。

そうだ!そんなこと関係ない。

命は有限である。

それならば今ある命を大切に
生きていかなければ。

生きるということは、
命を守るためだけではなく、

いつ死んでも後悔のしないよう、
今の瞬間を懸命に生きる覚悟を
持つことから、

その奥深い意味を知るのでは
ないだろうか。

私が見失いかけていたことを
Iさんの覚悟で思い出しました。


またサラリーマンでカッコイイ
生き方をしている人がいます。

網倉さん。

http://ericamikura.blog109.fc2.com/blog-date-200810.html

網倉さんはいつも鞄に「辞表」を
忍ばせて持ち歩いているそうです。

いつ会社を辞めてもよい覚悟を
もって、毎回の仕事や商談に臨む。

会社にしがみつかない、豊かな
自分だけの人生を歩むためにも、

最高の仕事をしよう!
サラリーマン思考を捨てよう!
経営者思考で常に行動しよう!

そう覚悟を決めて世のために
貢献している素晴らし方です。


私もIさんや網倉さんのような、
「覚悟」を背負った人生を歩みたい。

そのためにも小さなことから
始めたいと思う。

例えば、

私だけしか知らない書類の場所を
みんなに分かるように整理整頓する、とか。

車の保険証書がどこにあるか
妻に知らせておく、とか。

いらないモノを捨てておく、とか。

覚悟を持って身の周りを
整理整頓しておこうと思う。

こうして1つづつの覚悟を
積み重ねることできっと、

人としてさらに成長できる
気がするから。

まずはやれるところから
はじめていきます。

Iさん。本当にありがとうございます。





2010年11月24日水曜日

弱い自分に立ち向かう勇気

自分に自信がない。

ネガティブな気持ちで
自分を責めてしまう。

こんな自分がイヤだ

そんな自分を変えるために
学院に入学しました。

それでも私は本当にこのまま
学院を続けていいのか迷いました。

弱い自分をまた責めて
しまったからです

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今朝の朝礼はセラピストを目指す
学院生が一緒に参加しました。

朝礼の場では毎日必ず、

「患者さんの声、
もしくは最近気づいた事」

を、必ず発表しなくてはいけません。

私たちスタッフは人前で話す事が
毎朝の習慣となっているのですが、

突然話題を振られた学院生は
それこそ大変だと思います。

そんな中、一人の学院生が
自分の近況を語り出しました。

彼女もまた私と同じく
FMT整体の元患者さん。

とても頑張り屋さんな彼女は
自分の症状を克服するために
一生懸命、通院しました。

そして縁なってFMT整体の
セラピスト養成学院に入学
することになったのです。

学院が始まってまだ日も浅く、
施術練習会に参加するのは、
先週の合宿がはじめて。

ずっと緊張の糸を切らさず
頑張っていたのでしょう。

彼女は練習会の際に涙を
流してしまった事を告白しました。

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涙を流している私は卑怯。

きっと他の人にも迷惑を
かけてしまう。

でもまたいろんなことを
深く考えてできない自分を
責めてしまうんです。

そんな自分が苦しくて、
つい涙を流してしまいました。

でも、このまま泣き続け、
学院を辞めてしまっては
何も変わらない。

今まで逃げ続けてきた人生を
何か少しでも変えたいんです。

学院を続けていくことが
いまはとても不安ですが、

今度こそ逃げないで立ち
向かいたいと思っています。

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相当の覚悟をもってお話を
されたことでしょう。

はじめはうつむきながらも、

自分をなんとか伝えようと
頑張っている彼女の姿勢が
ストレートに伝わってきました。

スピーチを終えた後の
彼女の表情は緊張が和らいで
柔らかな笑顔を作っていました。

ハッキリと自分の決意をみんなに
聞いてもらった安堵感。

なにより彼女にとって自分を
開示することは本当に勇気の
いることだったと思います。

どんな人でも覚悟をもって
その瞬間を生きようとすれば、
その瞬間から変わることができる。

これから彼女がどんな表情を
見せてくれながら成長をしていくのか。

本当に楽しみであると同時に、

人の痛みに寄り添う事の出来る
本物のセラピストになるであろうと、
彼女の姿をみて感じました。

きっと彼女の痛みがわかる感性が、
患者さんにとって一番の安らぎに
なるのではないだろうか。

私も頑張らなくてはいけません!!



2010年11月19日金曜日

最近の若いモンはまったくなっとらん!!

「最近の若いモンは。」

僕は“おじさん思考”なのでしょうか。

こんな話をするといつのまにか
おじさん化していく自分に気づきます。

「うちに入ってきた若いもんは
電話のとり方すら知らんのだわ。」

Iさんが眉をひそめてそう話す。

「一流の大学を出て、メチャクチャ
頭がいいんだよ、今の子は。

でもさぁ、電話が出られなかったり、
会話が続かなかったり、お酒の席を嫌ったり、
予測して仕事をすることができなかったり。

ウチらの若い頃にはさぁ、、、。」

Iさんは残念そうに話す。

「ところで、平野さんは黒電話世代?」

不意な質問に首を縦に振ると、
Iさんは満足そうに笑った。

「黒電話世代と携帯世代の違いって
平野さんは分かるかい?」

私はIさんの話を最後まで聞いて
深く納得してしまった。

「あ!僕はおっさん世代だ!」と。



1つ質問です。

あなたは「黒電話世代」ですか。
それとも「携帯世代」ですか。

私は黒電話育ち。

「ジリジリィ!!」

と、電話がかかってくると、
廊下にある黒電話に走っていって、

「はい、もしもし、平野です。」

と名乗る。

幼少期に両親から教育の一環として
電話の出方・繋ぎ方・かけ方を
教えてもらいました。

「●●ですけど、お父さんはいるかな?」

「はい。かわります。(黒電話にたてかけて保留)」

「お父さ~ん!!●●さん、ていう人から電話だよぉ」

保留ボタンを押して軽快な
メロディーが流れる機能もなく、

受話器の向こうに家族の会話が
丸聞こえだったあの頃。

電話に出ることが楽しくて、
よく電話が鳴ると母にせがみました。

なぜ、受話器の向こうから遠くに住む
おばあちゃんの声が聞こえてくるのか。

そんな難しい事はさて置き、

「もしもし、平野です。」

と言えることが、大人っぽくて
嬉しかった思い出があります。

いつの間にか時代は進化を続けて
黒電話が一般家庭から消え去り、

現在は携帯電話を11
持つことが当たり前になりました。

家庭の電話に出る必要がない。

悪徳業者が氾濫している世の中。
電話に出ても絶対に名乗らない。

そんな教育がされている現代。

電話に出てまったく知らない人と
コミュニケーションをとることは
ほとんどありません。

個人に必要な連絡は携帯に
かかってくる時代。

気がつけば時代は人と人を
繋ぐ貴重な接点と教育を
奪ってしまったのでしょうか。

個人の世界を大切にして、
人との繋がりに深く関心を
持たない若い人が増えている。

そんな現状に心を痛めるIさん。

確かにそうだよな~。
と、私も妙に納得。

Iさんは話を続けます。

「だから俺らの普通を無理に教える、
訳ではなく、どんどん経験させて
学習させるしくみが必要なんだと思う。

そして、俺達おじさんも受け入れながら
学んでいかないといけない、、、。」


人にとって、時代によって、
「普通」の概念は異なる。

どれが基準なんてこの世の中に
あるようでないようなもの。

あえて基準があるとするならば、
ビジネスマナーや礼儀作法の
本質であるはずの、

「人の心を幸せに、豊かにする作法」

こそが「普通」の基準なのでは
ないだろうか。

Iさんの話を聞き、自分の心が
相手にとってエゴになっていないか。

自分の中の普通というメジャーで
ものごとを測っていないだろうか。

時代の変化を受け入れながら柔軟に
「相手のことを思える」普通の基準を
あげていきたいと思いました。


黒電話世代、万歳(笑)