2010年11月19日金曜日

最近の若いモンはまったくなっとらん!!

「最近の若いモンは。」

僕は“おじさん思考”なのでしょうか。

こんな話をするといつのまにか
おじさん化していく自分に気づきます。

「うちに入ってきた若いもんは
電話のとり方すら知らんのだわ。」

Iさんが眉をひそめてそう話す。

「一流の大学を出て、メチャクチャ
頭がいいんだよ、今の子は。

でもさぁ、電話が出られなかったり、
会話が続かなかったり、お酒の席を嫌ったり、
予測して仕事をすることができなかったり。

ウチらの若い頃にはさぁ、、、。」

Iさんは残念そうに話す。

「ところで、平野さんは黒電話世代?」

不意な質問に首を縦に振ると、
Iさんは満足そうに笑った。

「黒電話世代と携帯世代の違いって
平野さんは分かるかい?」

私はIさんの話を最後まで聞いて
深く納得してしまった。

「あ!僕はおっさん世代だ!」と。



1つ質問です。

あなたは「黒電話世代」ですか。
それとも「携帯世代」ですか。

私は黒電話育ち。

「ジリジリィ!!」

と、電話がかかってくると、
廊下にある黒電話に走っていって、

「はい、もしもし、平野です。」

と名乗る。

幼少期に両親から教育の一環として
電話の出方・繋ぎ方・かけ方を
教えてもらいました。

「●●ですけど、お父さんはいるかな?」

「はい。かわります。(黒電話にたてかけて保留)」

「お父さ~ん!!●●さん、ていう人から電話だよぉ」

保留ボタンを押して軽快な
メロディーが流れる機能もなく、

受話器の向こうに家族の会話が
丸聞こえだったあの頃。

電話に出ることが楽しくて、
よく電話が鳴ると母にせがみました。

なぜ、受話器の向こうから遠くに住む
おばあちゃんの声が聞こえてくるのか。

そんな難しい事はさて置き、

「もしもし、平野です。」

と言えることが、大人っぽくて
嬉しかった思い出があります。

いつの間にか時代は進化を続けて
黒電話が一般家庭から消え去り、

現在は携帯電話を11
持つことが当たり前になりました。

家庭の電話に出る必要がない。

悪徳業者が氾濫している世の中。
電話に出ても絶対に名乗らない。

そんな教育がされている現代。

電話に出てまったく知らない人と
コミュニケーションをとることは
ほとんどありません。

個人に必要な連絡は携帯に
かかってくる時代。

気がつけば時代は人と人を
繋ぐ貴重な接点と教育を
奪ってしまったのでしょうか。

個人の世界を大切にして、
人との繋がりに深く関心を
持たない若い人が増えている。

そんな現状に心を痛めるIさん。

確かにそうだよな~。
と、私も妙に納得。

Iさんは話を続けます。

「だから俺らの普通を無理に教える、
訳ではなく、どんどん経験させて
学習させるしくみが必要なんだと思う。

そして、俺達おじさんも受け入れながら
学んでいかないといけない、、、。」


人にとって、時代によって、
「普通」の概念は異なる。

どれが基準なんてこの世の中に
あるようでないようなもの。

あえて基準があるとするならば、
ビジネスマナーや礼儀作法の
本質であるはずの、

「人の心を幸せに、豊かにする作法」

こそが「普通」の基準なのでは
ないだろうか。

Iさんの話を聞き、自分の心が
相手にとってエゴになっていないか。

自分の中の普通というメジャーで
ものごとを測っていないだろうか。

時代の変化を受け入れながら柔軟に
「相手のことを思える」普通の基準を
あげていきたいと思いました。


黒電話世代、万歳(笑)



2010年11月16日火曜日

深緑の小汚いリュック

私が長年愛用している
深緑色のカバンがある。

確か中学生の時に買ってもらった
ちょっと地味で、小汚いリュック。

約15年ほど愛用しているが、
とても丈夫で壊れない。

すっかりこの憎い深緑に
愛着が沸き今も昔と変わらず
リュックを背負っています。


中学生だった当時。

なぜかリュックブームが
私の世代にあった。

中学指定カバンがあったが、
それに入りきらない教科書や
部活のジャージなどを入れるために
リュックが流行ったのです。

どこからやってきたブームか
全く分かりませんが、

時代が変わり、

なぜかヤンキー君たちも
ボンタンに短ランを脱ぎ捨てて、
カラフルなリュックを背負う。

オンリーワン?の自慢なリュックを
見せ合うことが校内で小さな
流行りとなりました。

いま思えば中学生って
よくわからない反社会性を
持ちたい年頃なんですね(笑)

「僕もリュックが欲しい!」

早速母にお願いをしますが、
あえなく却下。

「そんな流行りのモノを買う
必要がない。」

バッサリ切り捨てられます。

ことあるごとに何度も
おねだりをしてみましたが、

「あなたはすぐ飽きるからダメ。」

…。おっしゃる通り。

学校に行けば友達がオシャレな
リュックを自慢し合っている。

ちょっと前までタバコやバイクの
話ばかりで、「女なんて関係ねぇ!」
みたいなことを言っていたO君も、

高さそうなリュックでクラスの
女の子にモテモテ状態。

「くそ!!リュックがあれば
絶対に女の子にもモテるのに…。」

決意した私は毎月の僅かなおこずかいを
コツコツ貯金していきます。

しかし、時の流れは早いもの。

クラス中がカラフルなリュックが
溢れかえったことが問題となり、
校則が改正。

リュック禁止が発令!!

急に学校中は枯れた花のごとく、
活力を失っていきました。

私は流行が落ち着いたことに
ホッと一息。

けれどもリュックを買えなかった
ことがとても淋しかった。

「あ…僕も欲しかったな、、、。」

数カ月後。

母の買い物へ付き合うために
「松坂屋」へ行きました。

すると母が突然言うんです。

「好きなリュックを探しておいで。」

私ははじめこそ「いらない!」と
拗ねていました。

本当に買ってくれるなんて
信じていなかったからです。

でもカバン売り場に行くと、
抑えていた感情が爆発!!

欲しかったカバンが山のように
展示してあるんです。

広告や雑誌で見た憧れの
カラフルなリュックの数々。

まるで宝石箱を開けた
時のような嬉しさ。

私はその中から憧れだった
リュックを2点選び出して
母にどちらかを選んで貰いました。

一つはカラフルな流行りのリュック。
もう一つは深緑の地味なリュック。

母は迷わず地味な深緑を選び、
私にこう言ったのです。

「あなたがずっと欲しかった気持ちは
お父さんもお母さんも知っているよ。

時期が来たらちゃんと買ってあげる。
よく我慢したわね。」

母は続けます。

「なぜ深緑にしたのかはね、
流行りに流されず、モノを大切に
使い続けて欲しいからよ。」

母は笑顔で私に深緑のリュックを
渡してレジに連れて行ってくれました。


後から知ったのですが、
実はカラフルな流行りのリュックより
2倍以上の値段がしたそうです。

深緑のリュックは「ザ・ノースフェイス」
というブランドのリュック。






















当時は自由に使えるお金なんて
そんなになかっただろう。

それでも母がコツコツ私のために
お金を貯めて買ってくれた。

母は、モノの価値・お金の価値。
我慢する大切さを教えてくれたのです。

きっと流行の中でリュックを
手にしていたらここまで大切に
しなかっただろう、深緑のリュック。

母との温かい思い出。


実は、

昨日の11月15日は母の誕生日。

お母さんへ。

いつも本当に、ありがとう。

2010年11月15日月曜日

大切な1日

11月14日は私にとって
年に1回の忘れられない日です。

私の親友が亡くなった命日。

やっと3年。
もう3年。
まだ3年。

たくさんの人の様々な想いが
きっとあることでしょう。

3年前の11月14日には
彼は生きていました。

それが一瞬の出来事で
彼と彼を愛する人の人生を
大きく変えてしまった、、、。

私はお寺の環境で人の生死を学び、
日々精進しているつもり。

でも正直、、、

自分の身の回りの「死」を
なかなか受け入れられない
弱い自分がずっといました。

人生にはどうにもならない
出来事が突然起きる。

きっとその出来事はあなたも
私も乗り越えられるからこそ
与えられる大きな壁。

そもそも乗り越えられない
問題ならはじめからあなたに
降りかかってくるはずがない。

わかっている。
わかっているけど、、、

親友の死は本当に辛かった。


今年もお墓参りに彼の
生まれ故郷を訪ねた。

忙しいお昼時にも関わらず
快く私たち夫婦を受け入れて
下さるお父さんとお母さん。

綺麗に新調したお仏壇で
心地よさそうに眠る彼に
再会しました。

静かな時がただ流れていく。

お母さんが初めて心境を
語ってくれました。


「3年前の今ごろは生きていた
と思うと言葉になりません。

病気ならまだどこかで諦めが
つくと思いますが、

まさかあんな別れ方をするなんて、、、。

子として生まれてきたのならば、
順番を守らなくてはいけませんね。」

私は言葉を失いました。

初めて本音を伝えてくれた
お母さんにうまく声をかけて
あげることができません。

「3年も経てば親戚や近所の方も
息子の存在を忘れていくもの。

でもこうしてはるばる名古屋から
こんな田舎に息子へ逢いに来て
くれるなんて、、、。

親バカですが、あの子は本当に
みなさんから愛されていたのですね。

平野さん、本当にありがとう、、、。」

必死でこらえていたお母さんの
涙がボロボロと膝に落ちました。

お母さんの胸を抉るような
苦しいが伝わってきました。


「命」とは何だろう?


30歳になった私は意識を
しています。

自分の命には限りがある。

今を精一杯生きていくこと。

そして、

残された命で何を真剣に
刻むことができるか。

命あるこの瞬間にどれだけ
感謝の心を持つことができるか。

そして、

人の死、自分の死に
覚悟を持つことができるのか。


決して他人事ではありません。
人は必ず人生に終わりを迎えます。

限られた命を精密に逆算
することはできないかもしれない。

けれども、

与えられたこの命を
自分のためだけではなく、
この世の中に役立つことを
必死で探し続けなければ
ならないと思う。

平野滋之としての「華」を
精一杯咲かせる努力を惜しんでは
いけないと思う。

生きることに感謝。
活かされていることに感謝。
命の繋がりに感謝。

11月14日に感謝。

また来年も、逢いに行くよ。